東京小金井ロータリークラブ

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お知らせ/週報

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■お知らせ

台中東南RC(姉妹クラブ)

台中東南RCとの提携が始まったのは、創立12年にあたる1974年でした。

現在の小金井市本町一丁目(現エアーズシティマンション)に「蛇の目ミシン・小金井工場」がありました。当時の工場長(田中義一氏)が小金井RCのメンバーでした。当時、蛇の目ミシンが台湾(台中市)に工場を設立し、そこに度々訪れ、その時、台中東南RCにメーキャップを何回もしていました。そこで、台中東南RCより、是非小金井RCと姉妹提携クラブを願いたいと申し出がありました。面白い話と思い、理事会でも賛同を得て、締結することが決定致しました。

当時の台湾は、まだ発展途上であり、外国に出るのも中々許可が下りない状況で、姉妹クラブの締結等で外国訪問では許可が下りた様です。

1974年12月12日(台中東南RCの創立記念日)に締結を行う事が決定しました。当日に合わせて、関口徳三会長(現会員関口弘治さんの父上)と幹事の橋本宏、そして国際奉仕委員長を含め約10名で訪問し、締結を行いました。その式典は、想像を超えた熱烈歓迎で大変感激致しました。懇親会では「カンペイ」「カンペイ」の掛け声でお酒の飲めない私は参りました。その後、二次会三次会と続き、楽団と美女との宴会が延々と続きました。

当時、台湾は、まだ日本語の話せる人が多く、言葉で困る事は有りませんでした。(1945年までは、日本が統治して日本語教育をしていた事を知っている人も少なくなっていますね)

桃園空港、高速道路、新幹線もなく、台北より列車で台中に向かいました。日本のODAで、橋や道路ができ、台中のメンバーに感謝されました。また、当時のお土産として、「包丁」「リンゴ・柿」「折りたたみ傘」等を持って行ったのも覚えています。

姉妹クラブの締結は、一年間で、毎年台湾と日本で交互に締結式を行っていました。その都度、多くの台中東南RC会員・夫人が来られました。しかし、毎回、台湾訪問時に受けた熱烈歓迎は、日本では出来ず、苦労致しました。

日本語の話せる人も段々減り、毎年の締結更新も大変になり、橋本宏が会長、長井照治さんが幹事のときに、小金井RC創立30周年を記念して、永久締結を結びました。これにより、どちらかのクラブが姉妹クラブを解除希望するまで続けることとなりました。

末永い姉妹クラブ提携が続く事を祈ります。

(第30代会長・橋本 宏)

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